ところで、当地、福岡市は障害者スポーツにどのように取り組んでいるでしょう 南区、清水に障害者スポーツセンター、 各区の福祉プラザ(障害者フレンドホーム)に体育館が設置されています。 スポーツセンターは利用者も多くそれなりの実績をあげているようですが、 利用者が固定され実績といっても、 同じ障害者が複数回利用しているのが現状。 交通便も悪く、車いすでのセンターまでの交通手段は 自家用車かタクシーを利用せねばならず誰もが何時でもとはいかない。 特に公共交通機関を唯一の頼りにしている者(車いす常用者など) には障害者スポーツに親しもうとしても移動手段がネックとなっている。 各区の障害者施設の体育館は利用率も低く、「開かずの間」もあるやに聞く。 箱物行政の典型的なバラマキ福祉の例でしょう。 市の送迎バスあるいは地場独占の西鉄さんなどがリフト付きバスを運行し、 煩わしさなく利用できるようになれば もっと、スポーツに親しむ積極的な障害者が増えることでしょう。 一方、大濠公園で毎年、2、3月ころに一般(健常者)の方と 障害者の「ふれあい車いすマラソン」が開催されていました。 > (中央トップを走っているのが私です 1991年) ところが、1996年をもって終了しました。 この「ふれあい車いすマラソン」は市では唯一の健常者と障害者が 触れ合う場であり 障害者が抱えている諸問題を理解し、再認識できる場でした。 マスコミでも取り上げられ西日本新聞、FM福岡、NHK、民放などが この模様を取材し、それなりの啓発・啓蒙に役立っていました。 ある障害者は 「規模の大きな大会にはいろんなハードルがあり 出場できないがこの大会は誰もが出場できる」 「毎年、楽しみにしていた」 また、この大会が催されるということで目的ができ、 それを達成するために生活に張りがあった。 「本当に残念だ」 「もっと続けて欲しかった」などと、 存続を願う者も多くいた。
行政の担当者が言うには 「当初の目的を達成した」 ということでした。 、 しかし、これは行事をこなしたということであって、 障害者問題(啓発・啓蒙)の本質を忘れている発言ではないでしょうか。 予算を消化するためには、なんでも良かったのかもしれません。 福岡シティマラソンがあるのでそちらでということらしい。 国連が提唱した「国連・障害者の十年」(1983〜1992)を契機に 障害者の完全参加と平等を目指しての活動の 主旨はなんであったのでしょう。 冒頭にも記述していますが、 他の市では民間と行政が組んで国際的な障害者スポーツ大会に 発展し、スポーツを通して障害者が社会参加し、 理解を得られるなど、貢献している。 国際都市・福岡(行政がそういっているにすぎないかも)を自負するが 福岡市には国際的な障害者スポーツ大会はこれといって 誇れるものは見当たらない。 また メディアの取りあつかいでも、ほとんどがスポーツ欄等で、 試合結果が報じられているだけで 理解・認識を得るには充分とは言えない内容である。 ところで、 大会やマラソン参加者(アスリート)が社会を変えるのではない。 皆さんが困難や優しさが何かを感じ、それを文言や声で情報発信し 社会を変えていただければ と、多くのアスリートは汗を流し願いながらリムを回している。 こんな素晴らしい大会もあります。 第一回(1990)にエントリー
大分での車いすマラソンの反響 私が挑戦した際の地元新聞(大分合同)の記事です文面をクリックすると拡大します
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◆42年の物語 “共に生きる”を誇りに 大分国際車いすマラソン 初回放送日: 2024年1月12日 NHKBS ロンブー淳がMCを務めるスポーツ番組!今回は、大分国際車いすマラソン。 世界初となる大会誕生秘話! 40年以上も続く中、町がどんな風に変わっていったのか? 2024.1.13 記 このページに戻るには右上「×」クリック |
◆大分国際車いすマラソン大会事務局へ リンク 大会概要・歴史・記録・写真集などなど インターネットにてライブ中継 このページに戻るには右上「×」クリック |
● 変わるパラリンピック ● ◆メダル獲得者・メダル数◆ ◆北京でバリアフリー加速◆ |
「失ったものを数えるな、 残されたものを最大限生かせ」 NHK web特集 https://syunsi2.exblog.jp/28208408/ ブログにリンク ↑ 2020.8.24 記 ◆◆ ◆◆ |