自宅スロープ設置顛末記



5年間なんと長い年月(時間)がかかったのだろう。

やっと念願のスロープが私の住む団地に設置されることになった。

完成すれば、自由な日に、自由な時間に誰の手も借りずに外出ができる。

帰宅も好きな時間に自由に当り前のことが出来るようになるのである。

篭の鳥が篭から開放され自由に飛び回れたときの気持ちが分かるようである。

健常者の時にはこの5段の階段は何とも思わないし、

団地には階段があるのが当り前と思っていました!。

 しかし、この階段が大きな障害物の何物でもないことに障害者の身になって

初めて気が付きました。

21世紀は高齢化社会を迎えて団地の階段、駅の階段、

その他いろんな建築物の階段等の上り下りが辛く、

または出来なくなる人達が益々増えてくると思われます。いや、増えるのである。

 行政に携わる方は机上の福祉論を唱える事よりも早くこれに気付き、対処して頂きたい、

多くの寝たきりの高齢者、障害者をつくらないためにも。




西日本新聞 「こだま」に投稿し、掲載されたものです。( 1992/10/9:掲載)





これまでの経緯

飯塚の総合せき損センターを退院時(1988年:昭和63)には完成し、いつでもスロープを伝い

外出できるものと安心していた。

ところが、市との交渉をしてくれた医療相談員のH氏からその結果を聞いて、落胆した。

それは「設置できない」 ということだった。

なぜだ。 なぜ! 

市の設置不許可の理由は

スロープ設置は階段を壊す大工事となり、退去時に元へ戻せない。


「退去時の原状復帰ができるものでなければならない」

ただこれだけの理由です

では、自前で取り外し可能な簡易スロープを設置すると言うと

「勝手に市の敷地内に造作物をしてはならない」

など、

公営住宅法を楯に頑として譲らないのである。

公営住宅法、第何章、第何条に記載されているのか知らないが、人権を無視し、

車いす常用の重度障害者を家から一歩も出られないような軟禁状態にして

良いと、うたっているのだろうか?

これだけの理由で、交渉から5年(1987〜92)の年月が流れた。

毎年、辛抱強く市役所に申請を続けました。


この間、階段を上り下りするのに危険を感じながら大分国際車いすマラソン・

福祉活動など社会に参加した。

外へ出る時は5段の階段を後ろ向きに降りる。

その方法は妻が前方を持ち、私が両方のタイヤをしっかり握り、少しづつ回しながら

一段、一段、ゆっくりと滑り降りるようにする。

タイミングが合わなければいっきに転げ落ち、危険だ。

2度ほど転げ落ちたが、あと一段というところだったので幸いに大事には至らなかった。

帰宅は

あらかじめ、時間を決めて、あるいは電話連絡で階段まで出てきてもらっておく

重い私を5段の階段を上げるには力が必要だ。

降りる時よりも神経を使った。

5年間をこの方法での生活を強いられた。





90年には団地自治会会長の計らいで署名活動をし、団地住民全員の名簿を添えて、申請した。

しかし、結果は同じことだった。

スロープ設置は諦めていたところ

翌年、私たちの行動を知ったある議員が市議会でこの件を質問、回答を求めた。

そこで、この名簿が市の住宅管理課課長の段階で握り潰されていたのが発覚、

これを議員が追求し、その結果。

当時の建築局長H氏の「早急に現地調査をして検討したい」

との答えを引き出し、

翌、平成4年(1992年)スロープが完成したのである。


今はこのような市の対応はないと信じていますが、住宅改良はただ単に便利にするのではなく

重度の障害を負った者はそうしなければ

社会生活・参加ができないということを理解、認識してほしいですね。

また、室内は例の理由で、いまだに浴室やトイレは改良できず、不自由を強いられている。


現在(2005.8.25)の自宅のバリアフリー度は


公営住宅法

改正されました
平成17年6月29日法律第79号


公営住宅法施行令

改正されました
平成17年12月2日政令第357号


福岡市営住宅条例


福岡市営住宅条例施行規則


公営住宅法施行令等の一部改正について
平成18年8月17日 国土交通省住宅局

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